我が家の家事についての方針は『家事は家の事と書くんだから、家にいるものがする。嫁事でも母事でもない!』というのは以前にもこのブログの中で書いたことがあります。
今日の西播地区私立幼稚園PTA連合会の懇親会場で、ご挨拶させて頂いた際に申し上げた我が家の育児方針は、と言うと・・・
1.自己中心
2.いい加減
3.適当
の3つ。
これ、全部良いようにも悪いようにも取れる言葉なので、解説を・・・。
1.自己中心
これは、親である自分の中心がぶれないように、基本姿勢はいつも同じで、『誰かがああ言ったから、こう言ったから』というその都度の言葉にフラフラと惑わされて、子どもへの対応が毎回変わってしまうと、子どもにとって親の言葉の何を信じて良いのか分からなくなってしまうので、ご都合主義的にならずにいつも自分の中心をきちんと決めておく、って事です。
約束編でも書いたように、その場その場で子どもとの約束を変更しないというのも、同じ事です。
2.いい加減
こちらも、悪い意味ではなく、ちょうど良い加減で何でも認めていこう、という姿勢です。
何でも完璧じゃなくっても良いんです。親だって、徐々に親になっていくんですから、完璧じゃないですよね?分からないことだって沢山あります。でも、それを子どもに見せられない、とか、完璧な親でないといけない、と思うと親にとってもプレッシャーになります。なので分からないことは『分からないから一緒に調べちゃえ!』っていういい加減さ(この場合には悪い方の意味ですが・・・)も必要ですし、一人ひとりの子どもにとってちょうど良い加減、ってあります。
たとえば、お風呂一つとっても38℃が好きな人もいれば、40℃の熱いお湯が好きな人もいる。それと同じように、子どもにだってどんな事でも『ちょうど良い加減』の事って沢山あるはず。
だからこそ、過度な期待を押しつけたり、誰かと比べたりせず、その子にとって『良い加減』と思って認めていくっていうのも大事じゃないかな?と思ってます。
私の中学校時代、母が同級生のお母さん同士の会話の中で、『あんな風に認められたら良いね』と言って教えてくれた言葉があります。
N君のお母さんが『うちの子は一生懸命何時間も勉強してるのに、いつも部活したり遊んだりしている○○君には成績で敵わない。きっと、足が速いからって同じだけ練習しても皆がオリンピック選手になれる訳じゃないのと同じように、勉強にも才能があるんだと思うことにしたわ。努力していないならともかく、頑張ってるのにこれ以上を求めたらアカンし、無理して成績伸ばしても本人のためになるかどうか分からないから』と言っていたよ、と。
私にとって『いい加減』を認めようという気持ちは、この時のN君のお母さんの言葉のおかげで、完璧を求める気持ちの呪縛からの解放に繋がっています。
3.適当
これは、その子にとって『適当』な時期というのを、きちんと見極めよう、という気持ちです。
育児編でも書いたように、何でもやりたいとき・チャレンジしたいときっていうのが必ず出てきますよね。その『適当な』時期を逃してしまって、後から自分の都合で教えたいとき・やってほしくなったときに言っても、子どもにとっては『押しつけられたこと』になっちゃうんじゃないかと・・・。
なので、『適当』に育児をすると、本人も楽しんで吸収してくれるし、親も楽に教えていくことが出来る、そういう意味で『適当』です。
そして、自己中心でいい加減で適当な育児でいいから、ちゃんと自分のことは自分でできる、自分自身の考えを持って自分自身の言葉で表現できるように成長していって欲しいと思って接してきました。
これが正解かどうか、なんて誰にも分かりません。
でも、今、まさに小さな子どもさんを抱えて、一生懸命子育てをしている保護者の皆さんにとって、ちょっとでも気が楽になるなら良いかな?と思ってお伝えさせて頂きました。
そして、私自身は子育てっていうのは
『間抜けにならないように、最初に手間をかけておけば、後々手抜きが出来る』
そんなもんじゃないかな?と思っています。